※パロディ


nameさんは亡くなってしまった奥様に似てますね。

なんてことを言われた。驚いた。しかし残念ながら私はその「奥様」を知らない。私が雇われた時は、既にご子息と二人きりだったらしく、この城のように広い屋敷でそういった女性を見かけたことがなかった。何よりも私を雇ったのはその「奥様」を亡くしてしまった人なのだ。では私を雇ったのはもしかして、なんて無意味な空想に駆られる。不謹慎かもしれないが、「奥様」に対する好奇心が正直なところあった。他人が干渉しようなど、不躾極まりないだろう。しかし紅茶をあの人のもとへと運んだとき、偶然見つけた写真にうっかり口を開いてしまったのだ。
だが、あの人の反応は私が予想していたもののどれにも該当することはなく。こちらを一瞥するなりあの人は私に向かって読んでいた分厚い本を投げつけてきた。それもスナップを利かせたかのような回転付きだ。当たったら確実に病院送りだろう。鈍い音を立てて床に落ちた本は、無惨にページを広げていた。
……それに、私には少なくとも暴力を振るわれて喜ぶ趣味はない。とっさに避けて非難の視線を無言で向けてみるが、私以上に不快感に表情を歪めたあの人にたじろいでしまった。

「失礼ですね」
「わ、私は言われただけです」
「貴女が彼女に? あってはならないことです」
「失礼な……」
「よくそこにある写真をご覧なさい」

そう言って、彼はベッドからのろのろと緩慢な動作で動き出す。先日、過労で倒れたこの人は医者から一週間の安静を言い渡されていた。常々顔色が悪い人だな、とは思っていたが、倒れた時は死んだのではないかというほど生気がごっそりと抜け落ちた顔色をしていた。しかし安静して5日目の今日にもなると、いい加減寝ていることに飽きたのだろう。何かと理由をつけては動きたがる。私はそんな彼の見張りだった。

「いいですよ。惨めになるだけですから」
「遠慮など無用です」
「あまり急に動くとまた倒れますよ」
「お気になさらず」
「そんなに私を惨めにさせたいんですか」
「ええ、とても。貴女のそういう顔は見ていて愉快ですからね……」

そう言った途端に、彼の体はぐらりと傾く。ああ、危ない。支えようと手を伸ばすよりも早く、彼はベッドへと身を落とした。変なところで器用だ。大丈夫かと声をかけると、彼は私に左手を差し出した。細く白い指は、一枚の写真を挟んでいる。やや間を置いてからそれを受け取り、まじまじと見る。そこには若い男女が映っていた。
男性の方は間違いなくこの人だ。今も昔も、緩く波打つスペアミントの髪は変わらない。ただ、やはり写真の方が若い。顔色も少なくとも今より良い。健康状態は昔の方が良好のようだ。それに、傍らで微笑んでいる女性は。

「貴女など足下にも及ばないでしょう」
「わかってますよ。すごく綺麗な方じゃありませんか」
「だから言ったでしょう」
「参りました」

写真を突き返しながら言えば、彼は小さく笑みを零す。ああ、本当に奥様が大好きなんだな。なんて思う一方で、そんな大切な人に置いていかれたこの人を思うと、なんだかいたたまれなくなってくる。こんな私みたいな小娘風情が似てる、なんて許せるわけがない。惨め以上に申し訳ない気分になり、写真から目をそらした。

「気を悪くしましたか?」
「別にそんなことは」
「そうですか。なら更に気分が悪くなる話をして差し上げましょう」
「……いいですよ。そんなことばかりしてると、息子さんの教育にいつか悪影響を与えますよ」
「その点は心配いりません」
「……」
「あの子は、私になど似てしまわないよう、そう育ててますから」

写真を見つめながら、彼は呟くように言った。
部屋の中に小さな風が迷い込む。本棚の片隅に積もった埃をそっと巻き上げ、溶けるように消えた。

「私は一度あの子を殺そうとしたことがあります」
「は……」
「まだあの子が彼女の腹の中にいるときです。彼女は体が弱く、医師からは母体が出産に耐えられないと告げられました。……私は彼女に堕胎を懇願したのです」
「!」
「何の躊躇いもありませんでした。むしろ赤ん坊が憎くすらあった。彼女が、何故自分の命を引き換えに他者を生まねばならないのか……。最も、彼女は意固地で私の言葉など聞く耳を持ちませんでしたがね。そして彼女はあの子を生んで亡くなってしまいました。私はきっと酷い父親なのでしょうね」
「後悔してるんですか?」
「……どうでしょう」

彼は写真を近くの引き出しの中にしまった。
その端正な横顔が、残酷なほど優しく見えた。まるで額縁の向こう側を眺めているようだ。細められた緋色の瞳も、愁いを乗せた淡い睫毛も、彫刻のように整った面立ちも、感情が宿った途端に妙に生々しく映る。いつもどこか現実味が遠い彼が、不意に近くに感じた。

「しかし、貴女が彼女に似ているということも、あながち間違いではないのでしょう」
「似てませんよ」
「……」

彼は小さく笑み、私へと手を伸ばした。冷たく骨っぽい指先が頬の輪郭をなぞる。ふ、と息を止めた。その瞳の色がどことなく遠のく。それが寂寥を手招いた。指先はゆっくりと離れていった。

「残念ながら、私には繊細さも儚さもありませんよ」
「でしょうね」
「しぶといですから。ここでのお勤めも、簡単には辞めませんよ」
「有り難いです」
「……そんな素直に言われると気持ち悪いですよ」
「それはどうも」

白々しく済ました顔で微笑む彼に、私はどうにも気恥ずかしくなってしまった。空になっているティーカップを手早くソーサーごとお盆に乗せて腕に抱えた。

「では昼食を持ってきますから。今日はちゃんと食べてくださいね」
「貴女の腕次第ですよ」

皮肉めいた言葉を発した彼に、私はいつものように憮然とした表情で部屋を後にする。静かにそのドアを閉めながら、私は去来する言いようのない感情に深く息を吐き出した。
昼食は彼が好きなものを作ろう。




20130106
※前サイトの修正短編
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